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64年目の夏

今日はいつもと違う内容なので読みづらい方は申し訳ありませんが
また明日おこしくださいませ。すみません。

****************************************************


昨年の8月6日の記事はこちらです。


被爆者を家族にもつ人にとって、8月6日、9日は忘れられない日です。

私が小学校のころは夏休みでも6日は登校日、平和講義を受けていました。

父が原爆症による白血病で亡くなったのは戦後40年も経ってからです。

学徒動員で火が広まらないようにと建物を壊す作業をしていて被爆しました。

首の後ろに火傷の痕がありましたが父は多くを語らず、1度だけ聞いたのは、


突然光ったと思ったら次に周りが暗くなって背中が熱くなった。
爆弾が落ちたんじゃ!と思って友達と比治山へ逃げていたら
頭が燃えよる女子高生がいた。顔が真っ黒でパンパンに腫れてて…。
それでも歩いて山を登っていた。



残存放射能は救護のために広島入りした人の体も蝕みました。

2次被爆と言われる、外傷のない被爆者です。

爆心地から遠い宮島に住んでた被爆者の方は、


6日の朝、お腹が痛いという娘を促して市内の女学校へ
向かわせました。それが最期だとわかっていたら休ませていました。
唸るような地響きと大きな雲が立ち上る光景を見て、広島爆弾が落ちた!と
慌てて娘を迎えに行きました。市内へ向かう道はそれはもう、地獄からの
亡者のような人でとても恐ろしかったです。
娘の学校へ行ってみましたが、建物は崩れ人は黒こげになっていました。
一緒にきたご近所の方と何日も避難所や病院を回って探しましたが
見つからず、諦めて宮島へ戻りました。
その後、私は髪の毛が抜けおち貧血になりました。
私も被爆者になりました。



私は平和活動に参加していたので語り部さんや、一般の方のお話を

聞く機会が多くありました。

ある講義の中で爆心地直下で生き残った方のお話がありました。

その方は中州の職場(今は平和公園内の休憩所)に出勤し、始業前に

地下の資料室へ降りていました。8時15分、大きな地震が起き

気を失いました。腕時計は15分で止まったままなので目覚めた時間は

わからなかったそうです。地上へ上がってみると職場はまっくら。

外へでると赤と黒という印象で、目の前の元安川の水面も真黒。

よく見ると人の頭で埋め尽くされ、そこに熱風と竜巻がおこり火が巻きこまれ

川の中で蒸し焼きになっているようで恐ろしかったそうです。

この方は既に亡くなっておられますが、直下の惨状を伝えるために

本を書いたり学校を回ったり、尊い活動をされていたようです。



私の母は小学校3年の時、2つ上の兄と一緒に三次(みよし)という県北の

田舎のお寺へ学童疎開に行ってました。

広島には母親とまだ幼い弟が2人残っていました。

疎開先に2回ほど母親が訪ねてきた記憶はあるそうですが、顔は

思いだそうとしても思い出せず、のっぺらぼうなんだそうです。

2回目の時、母親が自分のほっぺを両手で包んで、「おかあちゃんの顔

よう覚えておきんさいよ」と顔を近づけてきたような気がすると言ってました。

それでもその光景を映像化しようとすると顔だけ真っ白なんだそうです。

母方の大伯母(祖母の妹)から聞いた話です。

(私の祖母=母の母親=大伯母の姉 ちょっとわかりにくい^^;)


姉は小学生の息子と娘を三次へ送ったあと、残った息子2人を
連れて夜は実家へ戻っていました。
姉の夫はすでにアジア沖で戦死しています。
釣具屋を家業としている姉は「寺町」に住んでいて実家から歩いて
15分くらいです。
6日の朝、空襲警報が解除され、いつもならゆっくりしていくのに
その日は早々に寺町まで戻ってしまいました。
そしてピカ(原爆)が落ち、私たちは何もわからなくなりました。
寺町は爆心地から1km弱、私の住む実家は1.5km内。
川1本隔てて離れている分、実家の家族や親せきは誰も被爆死
することはありませんでした。
急いで帰らなければ、姉や息子たちは生きていたはず。
後に聞いた話では、末の息子が川の土手で泣いていたのを見た人が
いるとか。
姉は建物の下じきになったのか、3人がどこで死んでしまったのか、
骨も残っていません。


その大伯母も4年前に亡くなりました。

もう祖母を覚えている人はいません。

ところが、一昨年その大伯母の遺品から若かりし祖母の写真が

出てきました。目元が母に似ています。

でも母は「このお母さんは若すぎてわからん」といいます。

それでも大事な1枚でしょう。




疎開から帰った母は兄とともに実家の大伯父の家で育ちました。

そのころ母は夢を見ました。

お茶の間の隅でお母さんが背を向けて座ってた。
「おかぁちゃん」と声をかけるとお母さんの周りにうわーっと竜巻がおこって
近づけなくなった。それから炎がお母さんを包んで黒こげになっていく。
結局お母さんはこっちを見ることもなく黒くなっていったよ。



母の記憶



胎内被爆した人でも64歳、当時の物心がついてて記憶がある年頃だったら

すでに70歳を超える人ばかり。

いつまで伝えられるかわからないと不安に思いながら若い方へ

祈るように語りついでいらっしゃいます。

忘れてはいけない夏の出来事です。


合掌


最後までご覧頂きましてありがとうございます。
ポチ欄は閉じようかと思ったんですが、「伝える」事が大事かと思い
あえてどのジャンルの方にも読んでいただけるよう
このまま掲載させていただきます。
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comment

管理者にだけメッセージを送る

No title

あびさん、書いて下さってありがとうございます。
昔の方の苦難は、私たちの想像絶します。
とても神妙な気持ちになりました。
犠牲者の方のご冥福をお祈りしたいと思います。
これから東京に出かけますので、今日の宿は部屋にPCがあってネットができるのでもう一度じっくりと読ませていただきますね。

そして、私のブログに紹介させていただいてかまいませんか?
もう出かけるので事後承諾になってしまいますけど。

コメントありがとうございます

>ノラドラさん
早々にコメントいただいてありがとうございます。
これから東京ですか?
気を付けてお越しくださいませ(^^)

ご依頼の件、ありがたくお受けさせていただきます。
ありがとうございます。
事後報告にならないようお返事を先にさせていただきました。
ではいってらっしゃいませ(^^)ノ

No title

唯一の被爆国として、声を大にして語り継がなければいけない事です
広島や長崎から、遠いこの地でくらしていると
悲惨な現状は分かっていても、なかなか実感できませんでしたが
こうして、知り合えたあびさんの生の声に、胸がいっぱいです

ご冥福をお祈りします

No title

犠牲者の方々の、ご冥福をお祈りいたします。

決して忘れてはいけないことですね。
平和な日本が今あることはどうしてなのか、若い人達にも
知って欲しいです。
被爆しながら助かっても、それぞれの方がとてもお辛い思いを
されていて、胸が痛くなりました。
核が世界からなくなることを、切に願います。

No title

去年の記事も読んできました。

こういう経験をされた方が、お辛くても話してくださることが
とてもありがたいと思いました。
自分だったら口を閉ざしてしまうのではないかと。
本当に立派な活動だと思います。
また、そういう方々を記事にして教えてくださるあびさんも
立派な活動ですね。頭が下がる思いです。

敗戦国として胸を張って生きていくためにも絶対に必要なことですね。
戦争の犠牲になるのはどこの国でも弱い人たちです。
それを無くすためにも絶対に途絶えてはいけない活動だと思います。

あびさんとこういう形ですが、お知り合いになれてよかったと思います。
いつも色々考えるきっかけをくださってありがとうございます。

こういう活動で亡くなられた方々の魂も安まることと思います。

No title

去年もあびさんの原爆の記事にコメントさせてもらった記憶があります。
あれからもう1年が過ぎたんですね~。
前にも書きましたが、うちの父は広島と言っても山口よりに住んでいたため、
きのこ雲は見たものの、被爆はしていません。
ですが、市内から運ばれてきた死体がたくさん並べられていたのは見たそうです。
私の父も、近所の小学校で戦争体験の話をしています。
こういう体験をした人も、高齢化でどんどん減っていますからね・・・。
私も広島から遠く離れた場所に住んでいますが、
父や母から色んな話を聞かされていたので、
原爆に対する思いは他の子供より大きかったと思います。
どんな理由があっても、許されることではないですよね。
これから先、同じような思いをする国、人が出ないことを祈ります。

はじめまして

ノラドラさんの所からやってまいりました^^
私は長崎出身です。
私達も夏休み、8月9日は毎年登校して11時2分に黙祷しておりました
この日だけは、子供心にも神妙にしてなきゃいけないって思ったものです・・・
私が子供頃には(今40代前半)、生存する被爆者の方はまだたくさんいらっしゃったので、
いろいろとお話を聞く機会があったのですが、現在は厳しいものがありますね
今度は私達の世代が伝えていく番かなぁなんて思っております^^

時々お邪魔させていただきますね、よろしくお願いします^^

No title

こんばんは、初めまして。
ノラドラさんところから来ました。

泣きながら読みました。特に娘さんを送り出した話し。みー茶にも娘がいるので、とても切なかったです。
去年の記事も読ませていただきました。
みー茶家は代々東北なので、原爆体験にはとても疎く、生きている頃の祖母や祖父は戦時中の話しをあまりしなかったので、本当に他人事にしか感じられなかったのです。
現代の子供達にどう伝えていくか、大きな課題ですね。

犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。


No title

どんなに目をそらして見たくない写真でも、耳をふさぎたくなる辛い話でも、見なけらば聞かなければ知らなければならない問題。
意味なく犠牲になっていかれた方たちの為に。
どんな意見も必要ないし言うことも出来ない。ただその現実をしっかり記憶にとどめ忘れてはならないのだと、改めて思いました。
ブログを始めてこうしてあびさんと出会わなければ、こんな風に再認識することもなかったでしょう。忘れてはならない、ただ現実を心に記憶にとどめなければならない事を。

コメントありがとうございます

>いたずらっこさん
 日本各地の大空襲も見落とすことはできませんが
 原爆は後世にまで影響を及ぼす悪魔の兵器です。
 主人も初めて資料館を訪れあまりの悲惨さに具合が
 悪くなりました。
 でも日本人として必ず訪れなければならない地だと
 思っていたようです。
 知ること気づくこと、それが大事だと思います。
 ありがとうございました。

>ノンママさん
 当時は戦争に行って死ぬことが尊い事と思われていて
 生き残った方は「生き恥さらし」と悔いてらっしゃいました。
 間違った教育とは罪なものだと思いました。
 しかしながら当時は帝国日本、すべての人が神国と信じて
 志を同じくしていたので誰かを責めるということもできません。
 同じように教育が一方的な国がありますが、まちがった方向に
 いかないことを願うばかりです。
 人として生きることがかなう世の中になってよかった半面、
 先人の尊い命の上に成り立っていることを忘れてはいけないと
 思います。
 若い方がぜひとも「自分一人で大きくなった」などと思わず
 今生きている世界が平和なのは過去の過ちを反省し悔い改めて
 いるからだと認識してもらいたいものです。
 ありがとうございました。

>ねこねこさん
 正直なところ、広島・長崎というキーワードだけで差別があった
 ようなので、口を閉ざす被爆者は多いです。
 ご自分の余命がわずかと知らされてから動くかたもいらっしゃって
 お話を聞いていると胸が締め付けられる思いがしました。
 一様に「生き恥」と言われる方々です。本当に人生の多くを
 懺悔で過ごしていらっしゃったんだと、聞くほどに涙が出ました。

 石碑に刻んだ約束、「過ちはけっして繰り返しませぬから」は
 憲法改正の波で消されようとしています。
 時代は流れようとも死守しないといけないことってあると思います。
 ありがとうございます。

>ゆーりさん
 そうでしたね~。お父様も体験者でしたね。
 遠く離れた県人たちは次々と運ばれる遺体や逃げてくる怪我人、
 その地で力尽きた方の遺体をお世話されていました。
 毎日ただよう人の焼ける臭い、間に合わず腐乱していく遺体の死臭、
 気が狂いそうだったと聞いています。
 市内の惨状が見えなくとも、地獄のような体験だったと思います。
 遺体にも残存放射能はあったでしょうし、その方々が原子爆弾という
 新型の兵器だったことを知るのは相当後になったはず。
 わけもわからず接するわけですから知らず知らずに放射能の
 影響を受けていたかもしれません。
 なんとも辛く悲しい体験だったと思います。
 ご両親によろしくお伝えください。
 ありがとうございました。

>みんみんさん
 はじめまして(^^)
 お越しくださいましてありがとうございます。

 長崎のご出身なんですね。
 長崎には中学校の修学旅行以来、何度か伺っていますが
 フィールドワークで小学校の防空壕跡や永井博士のお家など
 回って案内していただきました。
 アメリカの退役軍人たちはパールハーバーを思い出せ!と
 問題をすり替えますが、2度も日本の市民を大量に殺した事実は
 けっして許されるものではないと思います。
 長崎は日本のトップを黙らせるための切り札とも言われ、
 世界大戦を終わらせたきっかけにもなったと胸をはっています。
 日本の2つの都市を壊滅させてしまい、さらに生き残った方へ
 心身ともに辛い傷を負わせた責任はどこにあるんでしょう。
 これほど重い十字架を一般市民が背負わせられるのは
 とても惨いことだと思います。
 遠く離れてしまっても記憶に残っている限り、伝えていきましょう。
 ありがとうございました。

 私ものちほど伺わせていただきます(^^)

>みーさん
 はじめまして(^^)
 お越しくださってありがとうございます。

 お嬢さんがいらっしゃるんですか?
 子供を失う親の気持ち、絞り出すようにお話しされていて
 ずっとご自分を責められ、できることなら傍に行きたいと
 何度も思っていたそうです。
 親として供養を続けることが自分の責任だと、今は思いとどまって
 いるとのことです。
 このお話もなかなか口にはできず悩んでおられたようで、
 私が参加した講義で初めてお話されたそうです。
 直接受けた火傷や皮膚の裂けた痕なども痛ましいですが
 娘を殺してしまったと責める気持ちもまた痛ましいです。
 こういった心の傷はご本人がお話いただけないと目では
 見ることができないので非常に印象に残りました。
 この方の気持ちが伝わって、私もほっとしました。
 ありがとうございます。

>ノワノーワさん
 本当にあったことだからこそ、目をそむけたくなったり
 耳を閉じたりしたくなることもあります。
 今は平和すぎて命の尊さを忘れ、軽はずみに生き物を傷つけたり
 命を奪ったりしていることが多いです。
 この平和はけっして今生きている自分たちが作ったものでは
 ないことを知るために、やはり過去としっかり向き合うべきだと
 思います。
 戦争は映画のようにかっこいいものではありません。
 外国のヒーロー映画のように守備よく誰も殺さず、などとは
 いかないのだと、若い人たちに知ってほしいなと思います。
 ありがとうございました。
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プロフィール

abi

Author:abi
びーと(だぁりん)とabi(あび)です

090509_0858~0001[1]


ナナ2か月


(ナナ)
きじとらの♀
2008年5月5日生まれ
(びーと決)
体は小さいがニャンコキック
が得意。
かぁちゃんの背中を踏み台
につかうおてんば娘。
おもちゃで遊ぶのが好きで
くわえてもってくるのが
得意技。
への字になった口元が萌え


テオ2か月


(テオ)
ハチワレ白黒の♂
2008年5月5日生まれ
(びーと決)
アンアンとかナンナンとか
面白い声でよく鳴く。
体が大きくて長く、黒い
プロレスタイツを履いている。
ただし、もものところに穴が
あいてて白い毛がはみだしてる。
少しドンくさいところが萌え


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