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震災から半年

9月は連休が2回あったので、23日の夜に出発、

途中のSAで仮眠(5時間も寝たら仮眠というのか?)をとり、

24日の朝9時前に石巻に着きました。

台風が過ぎたあとで、渡波は冠水したという報道もあって

実家の前もしっかり土砂が・・・


半年後 渡波1


ドシャーっと流れてました。でも連休ということもあって、

23日にはボランティアの人たちが土砂を運ぶ作業を

手伝ってくれたそうです。

まだ除去しきれない土砂が残ってますけどね。

自衛隊が撤退した後はボランティアの皆さんが助けてくださってます。

本当にありがたいことです。

この土砂は海のものじゃなくて山の土です。家が無事で良かった~!

父は母を背負って土砂降りの中、上の道路に停めてある車に避難した

そうです。その後、いつもの友人Sさんのお宅に身をよせていました。

規模は小さいけど山津波、海からも山からも逃げなければいけない現状。

今年の自然はとても厳しいです。


さて。石巻に帰るときは実家で過ごすことが目的なので

今まで観光はしていませんでした。

あちこち回る前に震災で景色が変わっちゃったからね~なんて

話していたら天気もいいし松島行くべって話になりました。



はい到着~!

松島海岸駅から船着場あたりはもう人がいっぱいです。

外人さんも多い~(≧∀≦)テンキュー♪

なんちゅーか…思いっきり観光地じゃん。

広島でいうと、宮島の桟橋あたりとか。

山口でいうと、萩の温泉街や窯元のあたりとか。

まぁとにかくお店も人もいっぱいでしたよ。


半年後 松島1


空は青、海は蒼。

おだやかで、桟橋から見える箱庭が美しい!


半年後 松島2


ここ太平洋?っていうくらい波が静かです。

かもめ?も日向ぼっこで気持ちよさそうです。


半年後 松島3


奥に見える赤い橋を渡って島に渡ると五大堂があるそうですが、


半年後 松島4


「あの橋をカップルで渡ると別れるど~」って父が言いました。

「おめら離婚すっど~」ですって(ノ゚Д゚)ノオォオォ

もろい!もろすぎるぞ~!夫婦の絆っ!


半年後 松島5


松島も津波の影響はあったものの、湾内の島々が津波の威力を

軽減させてくれたらしいです。

とは言っても防波堤の上にあった石がボロボロになって落ちてたり、


半年後 松島6


公園の松が赤く枯れていたりしています。

それでも道路を隔ててすぐそばの瑞巌寺は水害がなさそうだし、

松島はもうしっかりと前に向かってスタートできているようです。


半年後 松島7


公園入り口の松はとっても元気で美しい!

他県のみなさま、どうぞ松島にいらっしゃいませ♪



で、ここが船着場から道路を挟んで向かい側にある瑞巌寺。

こ、国宝ですって~(@。@)/

短い参道には人がいっぱいいました。

あら、お母さんと友人Sさん(左の白髪オヤジ)が写ったわ。


半年後 瑞巌寺1


門をくぐって右に行くと大きな岩の前に石の仏様たちが。

岩の中もくりぬいたり石仏を彫ったりしてありました。


半年後 瑞巌寺2


修行僧さんたちが彫ったらしい。


半年後 瑞巌寺3


岩の上には大木が生えてて、もう岩なんだか根っこなんだか

わからないくらいどっしりしてます。


半年後 瑞巌寺4


境内の参道には背の高い木が日光をさえぎって、

別世界のような趣です。ピリっと引き締まります。

宝物殿の撮影はできないのでカメラを収めて見学に集中!

伊達家代々の立派なご位牌がずらーっと並んでいました。

とっても煌びやかでしたよ。

本殿は改修中で5年後にお披露目のようです。

ホンモノの襖絵はその時までお預けで、今はレプリカが

飾ってありました。ん~残念!

でも、震災後とはいえ松島の美しさには感激です!

東北を知らない広島っ子のワタクシ、堪能いたしましたわ(*´ー`*)



松島から石巻に戻り、こんなとこ発見!


半年後 石巻1


合成じゃありませんよ。

缶詰工場のディスプレイが半年経ってもゴロンと転がってます。

道路を走る車と比較すると大きなものだとわかります。


半年後 渡波2


瓦礫置き場がいっぱいに!

3ヶ月前に見たときはずーっと向こうの方に山ができてたのに。


半年後 渡波3


瓦礫の鉄くずが熱せられて火災が起こったというニュースがありました。

ここは大丈夫かなぁ。

東京都が岩手の瓦礫を受け入れることを決めたみたいです。

処理施設が充実している他の自治体も検討して欲しいなぁと思います。

被災地は処理場がフル回転しても追いつかない現状。

県境という線引きはあるかもしれないけど、日本国土と考えれば

垣根なんていらないんじゃね?そうじゃね?


半年後 渡波4


個人の持ち物ということで手付かずの民家がまだたくさん。

1階部分は瓦礫が刺さってても2階で暮らしてる人もいました。

もし手続きが終わってすべて取り壊すとなると、またたくさんの

瓦礫が生まれます。

いつまで経っても片付かない被災地、いつになったらスタートラインに

つけるのやら…

今回の台風でまた海や山の木くずが散乱してる石巻です。


半年後 渡波5


実家の2階から見える景色。

朝起きるとこんなにきれいな内海が見えます。

守りたいね、この景色を。



車中泊を含めると2泊3日。

さぁ、帰るぞ~!と用意してたら、お世話になってるご近所さんが

わらわらと手土産を持ってきてくださいました。

毎回だけど来たときより帰るほうが荷物が多くなる・・・

みなさん温かい方ばかりです。

「みんなで助け合ってやってるからね~」と声をかけていただき、

感謝の気持ちでいっぱいになりました。




うちに着いたのは18時すぎ。9時間かかりました。

まぁ3連休の最終日にしては早い方かも。

テオナナはウンチてんこ盛り。

お留守番のご褒美の猫缶を食べてもちょっとご機嫌ななめ?

ちょっと寒かったのでコタツ布団を出してでかけたんだけど

さっさとコタツの中に入って出てきませんでした( ̄∇ ̄;)

今はもうご機嫌も直って、


テオ 110929-1


かぁちゃんの上っ張りをグシャっとして、その上でちゃっかり

眠ってます。


テオ 110929-2


ストーカー復活。かぁちゃんのそばでゴロゴロしてます。

ナナはコタツの中で伸びてるので、足をつっこむとささっと

抱え込みスリスリがきます。

ナナのツンデレ加減がたまらんわぃ(*´Д`)=3ハァ


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66年目 原爆の日

66年前の今日。

8時15分、原子爆弾が広島の上空で炸裂。

忘れてはいけない歴史です。


伝えたいことは過去の記事に。

いつもと違う8月6日

64年目の夏

8月6日 朝8時15分 黙祷

私は勤めていた生協の活動で広島と長崎のピースワークに参加して

いました。

被爆者の方の生のお話は心に深く刻まれ、脳裏に彼らの言葉が映像となって

疑似体験したような気持ちになっていました。

原子爆弾は炸裂と同時に閃光が周囲を貫き、直後に大きな地響きを

巻き起こしました。

広島の被爆者は「ピカドン」または「ピカ」と呼んでいました。

その後、爆弾の熱が風になって被弾地から放射線状に熱風が広がります。

その時に今話題になっている放射性物質が風とともに飛び散り、

人の皮膚を刺し体に入っていったのです。

放射性物質は通常の空気に混じって飛来しているだけなら皮膚がブロックして

洗い流すだけで浸透しないそうです。

しかし爆風で大きなエネルギーとともに飛散した場合は皮膚の中に

押し込まれ被爆してしまいます。

これが「原爆」と「原発」の大きなな違いです。

ただし内部被曝は呼吸や食事で直接体内に入れてしまうので脅威です。

マスコミの報道などで広島や長崎を引き合いに出される場合がありますが

原爆で亡くなった方たちの数字や症状は、爆弾によって放射能を浴び

急激に変化したものであって、被爆と被曝が同じだと誘導されている

ように思えてなりません。




広島の母の話です。

先日、母校の広瀬小学校の慰霊祭に参加したときの事。

広島のローカル局の若いレポーターが友達にインタビューしました。

その友達が母に、

「あのレポーターさん、質問がちぐはぐなんよ。

 なんか原発の事を聞いてみたり、原爆のことやら

 うちらの時代のことはよう知らんみたいよ」


とぼやいていたそうです。

「そりゃあね、もう66年も経ちゃあね、還暦すぎたレポーターなんか

 おりゃせんじゃろう。

 そのうちに原爆がどーよなもんか知っとる人はおらんようになるじゃろうね」


と母は言います。

広瀬小学校の先輩の中に、被爆して顔の皮膚が焼けただれアメリカで手術を

繰返した「原爆乙女」と呼ばれた女性がいます。

彼女の話では、

「原爆乙女はアメリカで顔を治してもらうのに注目を浴びたけどね

 たしかに手術は繰返したけど、そのたびに写真を撮られたり

 なんかしらん検査ばっかりで実験台になったみたいで怖かったわ。

 なんぼ繰返しても元の顔にゃ戻らん。感謝もしとるけど、

 原因はアメリカのピカじゃけぇアレさえなけらにゃこんな屈辱は

 なかったわいね」


と、初めて打ち明けてくれたそうです。

「ありゃあね、原爆乙女さんはアメリカに残って原爆の恐ろしさを

 訴えよる人もおるし、感謝しとっての人もおってじゃけえ。

 本当はあの人みたいに恨み言もあるじゃろうけど、こういう時代

 じゃったんよね。どっか上のほうで偉い人が決めた事を国民全体が

 従うのが当たり前の時代じゃったんよ。疑問に思ぉたら非国民じゃけ。

 原爆はいけんけどアメリカがいけんわけじゃないけぇね。

 日本がよそに原爆を落とすような事がなくてよかったわ」


と母は言います。

非核三原則がある限り、日本は核において加害者になりうる事はないと

思っていました。

今回の地震・津波による原発事故の被害は日本に留まらず海外にも

影響がでるんでしょうか。

ただただ中央の政局のゴタゴタによって被害がさらに拡大しないことを

願うばかりです。

そして非核三原則、

「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」

今一度、この一文の重要性を考えていただきたいと思います。



 





再び北へ(お・ま・け)

再び北へ(石巻・渡波編)
再び北へ(石巻・渡波、立町編)
再び北へ(石巻・女川、雄勝編)
再び北へ(石巻・北上川周辺・仙台編)のおまけです。




今日で震災から4ヶ月目。

3ヶ月目の写真を掲載してるのに、どんだけ放置してたんだσ( ̄∇ ̄;)

えーと、早いものですね(汗

1泊2日の強行帰省でしたが、おかげさまで色々と廻って現状を

自分の目で見ることができました。

忘れられない光景です。

で、石巻を出るのが遅くなってしまって、どっぷり夜遅くに帰宅しました。

お留守番していたテオナナは、ご飯も食べつくしてご立腹。

トイレもてんこ盛りのうんぴでしたよ。

遅くなってスマンのぉ( ̄人 ̄)




で、ご飯とトイレのお世話が終わって、よっこいしょと座って

荷解きを始めると、


テオナナ 110701-1


私の伸ばした足の間にテオナナがもぐりこんできて、

くるんと丸くなって甘えてきました。


テオナナ 110701-2


そして毛づくろい。

仕事になりませんけどね(*´Д`)=3ハァ

でも、こんなことされちゃうとメロメロになりますわ~。

やっぱりうちの子かわいい!(*≧m≦*)




だぁりんが会社で福島の野菜を注文しました。


福島野菜1


下にはお米が入ってます。

ごっそり野菜がいっぱい!


福島野菜2


おいしく戴きました。

季節によって果物や根菜も入っているようですけど、

中途半端な時期なので葉物野菜が主でした。

でもしっかりしてて最後まで元気な野菜たちでしたよ。


*******************************************


3月11日、連絡が取れなくなったばかりか、報道で知らされる

悲惨な状況におろおろし、毎日家族が無事かどうか心配で

どうにかして連絡がとれないものかと必死で探していました。

数日後、やっと義父の声が聞けたときは、思わず「うわーん」と

声を出して泣いてしまいました。

大人になって声を出して泣いた事って記憶にありません。

電話口で義父は笑っていましたが、堪えることはできませんでした。

生きててくれてありがとうと思わず泣きながら言いました。

本人たちは情報が乏しく、状況がわかっていなかったので

キョトンとしていましたが、そのうちにその意味がわかったようです。

大事な人が亡くなってしまった方達には申し訳ないですが、

家族が無事で本当に良かったと思います。

生き残った人たちは行政への動きとは別に、自分達で町を戻そうと

がんばっています。

遠く離れているけれど、私達も一緒にがんばらねば、と思います。


再び北へ(石巻・北上川周辺・仙台)

再び北へ(石巻・渡波編)再び北へ(石巻・渡波、立町編)
再び北へ(石巻・女川、雄勝編)のつづきです。


雄勝をあとにして実家へ戻る道。

北上川周辺に着きました。

右へ行けば義母の実家がある釜谷です。

ここはテレビでも今でも報道されている大川小学校がある地域です。

大川小学校は義母の母校で、まわりは田園が広がる素敵な景色の

場所でした。

とても穏やかな場所で海からも離れています。

33年前の大津波の時も被害はなく、本当にまさかの災害だったと

インタビューで答えている被災者もいました。

釜谷には義母の兄一家が住んでいましたが、ここも基礎だけで

まったく何も残っていないそうです。

残念ながら同居していた義母の弟が行方不明になっています。

主人にとっても思い出が多い釜谷の家なので一度見ておきたいと

思ったのですが、進入禁止で警官が立っていたので断念しました。


北上川3ヶ月1


石巻市内へ戻るので川沿いを走ると、


北上川3ヶ月2


えぐられて砂がむき出しになっています。


北上川3ヶ月3


もともと砂地で船が置いてあったのかしら?と土地に疎い私は

なんの疑いも持たずシャッターを切っていたら、


北上川3ヶ月4


このあたりは友達や知り合いの家があったんだ、と主人が。

土だらけの土地なので「え?ホントに???」と思わず

聞きかえすほど何も残っていませんでした。

が、車を走らせると部分的に生活のあとが残る場所も

見えてきました。


北上川3ヶ月5


たしかに家があったのがわかります。

会社のような頑丈な作りの建物もありましたが、ボロボロで

一体これが何なのかもわかりません。

でも海から遠いこの場所にも津波の威力は衰えず届いたということです。


北上川3ヶ月6


橋の一部が壊れて、下流まで流れて川底に刺さっています。

石巻の川はこんな状態の場所がいくつもありました。


北上川3ヶ月7


北上川周辺は今でも水没地域があります。

歩いていけない場所はボートを使用することもあると

報道されていました。


北上川3ヶ月8


えぐれて地盤がガタガタ、コンクリート片がゴロゴロ。

これって一体どこからきた瓦礫だろう?


北上川3ヶ月9


向こうには集落が見えますが、手前は水没しています。

川から少し離れると、仮設住宅が並んでいました。


石巻3ヶ月1


そのまわりには田んぼに水がはられ、緑の苗が風にそよいでいます。

被害が少なかった田んぼは、いつもより遅い田植えを済ませて

しっかりと宮城のブランド米を守ってくれるようです。


石巻3ヶ月2


東京からニュースを見ていると、宮城は全域田んぼが水没して

米作ができないような印象を受けますが、

こうして遠くまで緑の絨毯が広がっています。


石巻3ヶ月3


小麦もちゃんと育ってて、黄色い穂が風になびいていました。

広島出身の私は、北方面の米どころは新潟、秋田しか知りませんでした。

宮城に行ってみて見渡す限りの田んぼの光景に驚き、実家でいただく

お米の甘さに感動しました。

震災後、絶望的な内容のニュースを見て、宮城のお米は無くなって

しまうんだろうかと心配していましたが、この景色を見て

本当に安心しました。

ここにも東北魂です。明るい光が見えました。

1泊2日の詰め込み帰省でしたが、気になっていた雄勝に行けた事や

お世話になっているご近所のお友達に挨拶ができてホッとしました。



帰りは前回通行止めだった三陸道を通って帰ることに。

仙台を通りぬけるときは右と左で景色がちがうよ、と

主人に言われ、ずっと左右を見比べていました。


仙台3ヶ月1


この辺でしょ、と教えてもらって左を見ると、


仙台3ヶ月2


瓦礫や車が刺さっている光景が広がりました。

高速道路が生死を分けたというあの場所。


仙台3ヶ月3


ここもまた、ニュースで報道されたところでした。

走りながらなのでカメラをかまえるよりは肉眼で見たほうが

いいやと思い、しっかりと目に焼きつけました。

震災時、テレビの生中継で津波に飲まれる様子を見ていました。

四角い画面のサイズではなく、視界が届く限りの被害の状況は

頭をガツンと殴られるような強烈な痛みを覚えます。




3ヶ月経っても復興どころか余震で被害がすすんでしまう、

まだ初めの1歩すら踏み出せていないように思えました。

瓦礫撤去やインフラは自衛隊やボランティアの人たちに助けてもらって

なんとか進みつつあるけど、平凡な日常をおくるようになる為には

これからの支援が大事だと思います。

時間が経てば危機感は薄れていくけど、東日本ではまだ当たり前の

生活が取り戻せていない人たちが大勢いることを時々思い出して

ほしいなと思います。




※ 記録のために写真、文章多めに掲載しました。

  読みづらくてすいません。

再び北へ(石巻・女川、雄勝編)

再び北へ(石巻・渡波編)再び北へ(石巻・渡波・立町編)のつづきです。

今回は道路が多少通れるようになったということで、

主人が育った場所、雄勝に行ってみることにしました。

雄勝は義父の実家や親戚が集中しています。

義父が遠洋の船乗りだったため、主人はよく叔父の家に預けられ

従兄弟たちと一緒に育てられました。

3月の震災時で雄勝は津波の被害にあい壊滅状態だと聞きました。

3ヶ月経ってやっと帰ることができます。

すると、義父が「おまえ達に女川を見せたい」と言い出しました。

女川は渡波のすぐ近くの大きな町です。

ここは雄勝と違って震災時からよくテレビに映っています。

でも百聞は一見に如かず。よし、行くべ。


渡波から女川に向かう道は渡波同様の景色で、山道を越えて行くと、

いきなり目に飛び込むコンクリートの塊。


女川3ヶ月1


義父が見せたかったというだけあって、異様な雰囲気です。

渡波と違うのは、コンクリートの建物がゴロゴロと転がっているところ。

そしてテレビでも報道していたけど、


女川3ヶ月2


高台に見える病院の1階にも津波が上がってきて、

避難してきた人たちは慌てて上の階に逃げたとか。


女川3ヶ月3


こんなに高いのに水の勢いが衰えないまま飛び込んでくるなら

そこより下の建物はひとたまりもないでしょう。

道路はコンクリートが破壊されて砂利道のようになってます。

土ぼこりが舞い上がり、自衛隊のトラックがたくさん行き来して、

歩く人たちはほとんどが自衛隊員。一般車両はほとんど通ってません。

いったいどこが道なのか、それもわかりにくいです。

この病院が避難所および唯一の医療機関、さらに公的機関も

集中している場所になるそうです。

この辺りですら道路がガタガタ、土ぼこりだらけ。

ここから雄勝へ抜けるために海岸沿いへ走りました。


女川3ヶ月4


漁協の建物がありました。

産業の中心になる漁業関係の建物は車の出入りが激しいので

しっかりとアスファルトで舗装してあるはずなのだけど…

まるで山の林道のような土の道路になってます。

これ、ヘドロかなぁ。きっとこの下にちゃんとした道路があるんだと

思いますが、なにせ土と石だらけ。前のトラックが立ち上げる土煙で

前が見にくいです。


女川3ヶ月5


よくテレビで報道されていた鉄筋の建物です。

引き波の時に倒れたようで、海に向かって転がってます。

こちらに見えている部分は建物の床部分だそうで、

なぜか貝殻がいっぱい付着していました。

鉄筋むき出しの建物や、ボロボロなコンクリート塊の

建物だけが残り、ほかは土と瓦礫の山。

誰かが「爆弾が落ちた跡のようだ」と言ってましたが

たしかに原爆資料館で似たような写真を見たような気がします。

広島出身者としては、胸のあたりがギリギリと痛みました。



女川を通りぬけ、雄勝へ抜ける道路は山の中です。

ところどころ道路に亀裂が入っていたり、崩れていたり。

とっても危ないけど3ヶ月前は通れなかったところだから

開通してるだけ進んでいるということですね。

ところどころに集落があり、海に近い場所は津波の被害に

あっていました。

そして、運転している主人が「うわっ」と一声あげたのは


雄勝3ヶ月1


いきなりの光景。

子供時代をすごした場所が変わり果てた姿に・・・


雄勝3ヶ月2


公民館の屋上にバスが乗っている。

テレビで見たけど今もまだそこにありました。

雄勝は震災時に道路が寸断されてしまい、女川や南三陸など

テレビで報道されるのに、同じく町全体が壊滅しているにも

かかわらずしばらく実情がわからない場所でした。

なので瓦礫撤去も遅かったらしいです。


雄勝3ヶ月3


女川と違うのは「ほとんど残ってない」こと。

いやいや、動画サイトなどで見る震災直後の雄勝は

そりゃもう山になった瓦礫で道路すら見えませんでした。

瓦礫を取り除くと基礎しか残らない。

雄勝は遠くまで見渡せるようになりました。


雄勝3ヶ月4


奥の山のほうまで津波は押し寄せ、瓦礫がスクリューのように

渦巻きながら上がってきた、と仙台に避難している叔母が

話してくれました。

たしかに奥のほうまで削れています。


雄勝3ヶ月5


雄勝の役場は形こそ残っていても立ち入り禁止になってます。

ここも瓦礫が流れ込んで、1階の屋根に車が乗ってました。

でも、こんなシャレた事ができるほど前向きな人たち。

素敵です。


雄勝3ヶ月6


主人が育った上雄勝。

目の前は海。

ぐるっと見渡せるくらい何にもなくなって、目印になるものも

無くなったので、一度通り過ぎてしまいました。


雄勝3ヶ月7


この枠が子供の時の家だった場所。

もともと何も無かったかのように生活の痕跡はありません。


雄勝3ヶ月8


家の目の前は雄勝湾。

親子で静かな海を見る背中がちょっと寂しいです。


雄勝3ヶ月9


この下は歩けるようになってて、子供の頃はよく

ここで釣りしたり飛び込んだり遊んだそうです。

よく見るとコンクリートの通路は沈んでいました。


雄勝3ヶ月10


雄勝湾にはまだまだ瓦礫や車などが沈んでいて、

漁師さんたちが船を出して引き上げていると報道されて

いたのを思い出しました。

行政に頼らず、自分たちで海を取り戻すという強い気持ちで

がんばっているんだそうです。


雄勝3ヶ月11


道路を隔てて向こう側には、本家と叔父の家がありました。

地震の時、叔父も叔母もそこにいたようですぐに高台へ

避難して無事でした。

でも鉄工所の鉄筋が飛んできて、家はバラバラになったみたいです。

生活用具が散乱していて、えぐられた花壇の花がポツンと咲いていました。


雄勝3ヶ月12


右手の木枠が残っているところが本家のお家だったとか。

年賀状をいただいていたおじいさんと息子さん夫婦が

住んでいました。

こちらはとても残念な結果になりました。


雄勝3ヶ月13


大きな瓦礫は取り除かれていても、まだまだ片付くには

時間がかかりそうです。


雄勝3ヶ月14


山の斜面には瓦礫の残骸がひっかかっていて、そのあたりまで

水があがったと思われます。

一戸建てだと2階は余裕で越えています。

なにせ小学校の屋上に家の2階部分が乗ってるくらいですから。


雄勝3ヶ月15


学校の周りには家がいっぱいあったのに…と主人が

言ってました。

大木と、上半分が無くなった車と、


雄勝3ヶ月16


誰もいない町。


雄勝3ヶ月17


船もいない海。


雄勝3ヶ月18


決して忘れてはいけない光景です。


雄勝3ヶ月19


ここまで何にも無くなると逆に潔く納得できるな、と

主人と義父が話していました。

形はなくなっても思い出は消えないし、と。

でも、震災以来たくさんの事を諦めたり受け入れたり

している姿を見ていて、胸が締め付けられる思いが

しました。




まだつづきます。


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掲載されている
里親募集サイトです。
里親募集(東京・山梨)
名古屋で保護活動されている ぶたまるさんの募集サイトです。
プロフィール

abi

Author:abi
びーと(だぁりん)とabi(あび)です

090509_0858~0001[1]


ナナ2か月


(ナナ)
きじとらの♀
2008年5月5日生まれ
(びーと決)
体は小さいがニャンコキック
が得意。
かぁちゃんの背中を踏み台
につかうおてんば娘。
おもちゃで遊ぶのが好きで
くわえてもってくるのが
得意技。
への字になった口元が萌え


テオ2か月


(テオ)
ハチワレ白黒の♂
2008年5月5日生まれ
(びーと決)
アンアンとかナンナンとか
面白い声でよく鳴く。
体が大きくて長く、黒い
プロレスタイツを履いている。
ただし、もものところに穴が
あいてて白い毛がはみだしてる。
少しドンくさいところが萌え


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